いま、二人に一人が、がんになる時代といわれています。
私自身の場合をとっても、家族や友人の中に、がんと現在闘っている人、病気を忘れたように人生を躯歌している人、がんで亡くなられた人など、がんに関わりのある人は数え切れないほどです。
これほど身近な病気になったのに、なぜ、がんの苦しみのなかで、ただ、なすこともなく最期を迎える方や、後悔の念をもって看取った経験を持つ人が多いのでしょうか。
がんは早期に発見すれば、あまり体に負担のない方法で治療することが可能です。
乳がんと診断されたある方は、一昨年、温存手術をして、わずか一日で退院できました。
一方で、がんが再発したり、進行したりして、治療が困難な人も少なくありません。
また、がんになった人の半数は、再発がんと闘う可能性があるともいいます。
がんは、怖い病気でなくなったわけではないのです。
そして、こうした方の多くは、医師から「もう治療法がなど「がんは治らない」「今のうちに好きなことをやっておいたらどうか」などと告げられ、がんとどう向き合っていいのかわからなくなっています。
私は、テレビの医学番組や、市民公開講座を企画制作する仕事をしています。
「がん」については、予防も治療も一般の方の関心が強く、毎年何度もテーマに取り上げています。
市民公開講座はたいてい二時間にわたって、複数の専門家が参加者に語りかける形式で開かれますが、質疑応答の時間を設けますと、こんな質問が相次ぐのです。
「私はもう治せない末期と言われています。
だから自分で調べて免疫療法をやっているんですが、どうなんでしょうか」「ある健康食品が効いてがんが治った、という人もいるようです。
治療法がない、と言われているので家族としては患者に食べさせてやりたいのですが、どうでしょうか」質問を受けたパネリストの回答は、ほとんどの場合、「科学的根拠がないので担当医師と相談した方がいい」という一般論にとどまります。
当初は、「二時間も最先端の話があったのに、この方の質問はテーマからちょっとずれてしまったな」と感じていました。
しかし、がんの市民公開講座で毎回、同じようなやりとりが繰り返されるのを目の当たりにするうちに、「この方は、この質問をするのが大きな目的で、そのために、今日この会場に足を運んできたのではないか」と気づいたのです。
市民公開講座の専門家による最先端の話と同じレベルで、いえ、それ以上に、その方にとって欲しい情報は、再発したがん、かなり進行したがんの患者が実際に受けられる「医療」についてだ。
二○○五年三月、七○年あまりのがん専門病院の歴史をもつ癌研究会の「癌研有明病院」が東京・江東区に誕生しました。
M病院長が掲げた目標の一つは「再発・進行がんや症例の少ないがんなど、治療の困難ながんと闘う医療の実践」です。
私は、その最前線の取材をする機会に恵まれました。
新しい病院の最上階には、緩和ケア病棟がつくられました。
「緩和ケア」とは文字どおり、ケアを軸にして苦痛や不快な症状を取り除く医療のことです。
がんが再発・進行した場合の医療は、どうなっているのでしょうか。
仕事柄、最新の文献だけでなく、さまざまな医学書に目を通しますが、がんが再発・進行した場合にどうすればいいのか、についての記載は、決まって医学書の後半に出てきます。
治療についての記載は少なく、「治せないが、症状を和らげるために治療をすることもある」という程度の扱いです。
悲しみ、死別、悲嘆などという言葉が繰り返し出てきます。
否応なしに人生の残りが少ないことを意識させられてしまいます。
ただでさえ、残された日々のことを思わぬことはない患者が、前向きな気持ちで読み進めていけるような段落とはなっていません。
実際のところ、がんの治療法がもうない、と医師に告げられた絶望のなかで、大きな負担を覚悟で、いわゆる民間療法にすがりたいと考える人は少なくありません。
私の叔父が、がんになったときの父も、そんな一人でした。
開腹してすぐに閉じてしまったほど状態の悪かった叔父。
健康食品の効果が定かではない、と知りつつも、父は、「本人に手遅れだと告げることはできない。
何もしないわけにはいかない。
免疫が高まるといわれている食品を食べさせて、少しでも可能性を追求したい」と言うのです。
それに意見することなど、できません。
再発・進行がんになると、「治療法がなくなる」のでしょうか。
「科学的なデータが不足しているから」と多くの医師が否定的な態度をとる民間療法しか残されていないのでしょうか。
科学的で、かつ前向きな闘病の手助けをする医療はないのでしょうか。
病棟は、一般の医学書では「終末期の残り少ない日々を、家族や友人に囲まれて、心安らかに過ごす場所。
ケア中心で静かにがんと向き合う場所」のように紹介されています。
取材を始めるまで、私も、緩和ケア、緩和医療は、医学というより看護学に近いものが柱になっているのではないか、がんの治療法がなくなったときに「せめて痛みだけでもとりましょう」という控えめな医療ではないかと漠然と考えていました。
しかし、取材が進むにつれて考え方を修正するようになりました。
病棟の患者さんの多くは、ほかの病院で「治療法がない」と閉め出され、苦悩のなかで転院してきていました。
その患者さんやご家族が、この病棟で息を吹き返したように前向きになり、がんの闘病の意欲を取り戻していきました。
「治療しない施設に入らなくてよかった。
ここに来てよかった」と言うのです。
患者さんとご家族を包み込む医師の言葉がありました。
さまざまな診療科のスタッフが病室を訪れ、患者さんに語りかけていました。
こうしたスタッフの関わりで、さまざまな苦痛や不快な症状を和らげる治療の機会が、広がっていました。
腕をさすりながら静かに語りかけ、辛い症状を取り除いて患者さんを眠らせる看護師がいました。
独学だ、というアロマテラピーのマッサージを施す看護師もいました。
患者が日中少しでも生き生きと過ごせるように、夜は少しでも安眠できるように、異なる香りを混ぜ合わせ、肉厚の手でさするのです。
ある患者さんは、彼女の夜勤の日を心待ちにして過ごしていました。
家族と「今生の別れをしてきた」はずが、体調が良くなり、また自宅に戻った男性もいました。
その退院の日。
「自宅が一番いいからね」と声をかけたスタッフに、男性は「ここもいいですよ。
両方いい」と笑顔で答え、握手して退院していきました。
この病院、ここの緩和ケア病棟には、確実に、がんと向き合うための積極的な治療への道筋がひかれていたのです。
入院中に亡くなった三○代の女性がいました。
看取られた同じ年代のご主人が病棟スタッフに宛てて出した手紙です。
「……本当に妻を亡くしたくなかったのです。
しかし、最期に癌研病院に入院できて本当によかったです。
妻を失いたくない想いと本人の生きたい想いが合って最期までがんばれたと思います。
悔いがないから寂しくない、悲しくないというと嘘になるけど少なくともよくがんばった、ゆっくり休んでね、という気持ちになります。
妻が入院する前に私に「駄目でも最期にあのときこうしていればよかったという後悔はしたくない」と言ったことを見事に実行したと思います。
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